自由を奪われた子供

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虐待とは、尊厳を奪うこと

人は生まれながらにして自由であります。自由とは責任のことです。が、この生まれながらの自由(責任)を搾取されてしまった状態が奴隷(義務)なのです。こうして言葉にするとおぞましいのですが、こういう親子関係って、ざらにあるんですよ。

ここまでお読みくださった方々の頭に浮かんだ言葉、それはおそらく、「虐待」の2文字でしょう。そうです虐待ですね。虐待とは尊厳の搾取。ここでいう虐待とは特に、精神に対する尊厳を奪われ傷つけられる行為であり、自尊心の欠落。それは「ハートレイプ」と言っても過言ではないでしょう。

子供に興味・関心がない親

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「この子の為にやっているんだ」という偽善

さて、自由・責任・尊厳…言葉が増えてきましたが、子供からそれらを奪うということ、それが容易く出来るのは、お察しの通り「親」ですよ。そして殆どが無自覚に行われるものですから、解り難く発見が遅い。

しかし私が多くの「自由を奪われてきた人」の心の再生をしてきた中で見えてきた親の特徴は、子供に対して「興味・関心がない」という事実です。そうです、つまり子供の気持ちや感情に興味はなく放っておかれた。あるのは自分(親)の欲望・見栄や世間体なのです。

そういう親たちのハートレイプがまかり通るのは、無自覚と申しましたが正確に言い直せば、「この子の為」という、いかにも尤もらしい偽善にすり替えられているからに他なりません。

「自尊心」がない

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自分の傷に気付けない

そんな環境の中で育った人にとって一番残酷なこと、それは、「自分の心が傷だらけ」ということに気がついていないことにあります。カウンセリングに訪れる多くの方の訴えに「不安」「苦しい」「怖い」というような生き辛さがありますが、「自分が傷ついている」と思って来られる方はおりません。そうです、自尊心がないからです。

むしろ自己否定が強く自信が持てずに出来ない自分を更に責め、我慢と努力に駆り立てられています。自由と責任を搾取され、ひたすら義務を背負わされ、尊厳を奪われ傷ついていることに無知な上、更に走ろうとしているのです。

多くのお客さんは、カウンセリングの初めにこういう自分の状態に気付き、その傷付いている自分の心の回復、再生へとようやく意識が向いていくのです。

どこまでが親の責任なのか

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「関心がなかった」と認めることが、唯一果たせる責任であり誠意

生まれつきどんくさいとか、甘ったれとか、ビビリだとか、そういう個性はあるけれど、尊厳だけは、100パーセント親の責任。親が与えてやるべき義務なのではないでしょうか。

…はい、そういう親も、その親から尊厳など貰わなかったと仰るでしょう。だからこそ自分の尊厳も守れず、それを子供に伝えるということが解らない。それが親の義務だなんて言われても仕方がない…とね。しかし義務を果たせなくても、責任を負う事はできるのです。

親の責任とは、『自分が子供の心(気持ち)に関心がなかったということを認めること』。それに付きます。子供から自由を奪い、親の義務を果たせなかったということを認めることです。義務は果たせなかったけど、そういう自分に責任は持てるということです。

心の再生

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尊厳を取り戻さずして心の再生はない

放っておかれた人の心の再生には、困難を極めます。例え親が、子供の自由を奪い尊厳を与えられなかったと自覚し責任を負ったとして、その親から改めて、自由を与えられ尊厳を与えられるということは期待できません。

親が認めたということは、自分は親から愛されていなかったということ、それはつまりは失恋してたということを認めざるを得ないのですから。

それでも親が認めてくれたケースはいいほう。多くは、人から興味・関心を持たれることに執着し、それに満たされることなく失意の連続、次第に自分への興味を放棄してしまいます。

いずれにせよ、人としての尊厳、自尊心を取り戻さずして心の回復・再生はなく、幸福だと思える人生はあり得ないでしょう。

僕・私は存在してていいのでしょうか…?

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「僕・私という存在が、どうかあなたの負担になりませんように」

尊厳を奪われてきた人にとって、その場にいられる最大の関心事は、相手にとって負担・迷惑にならないかが最優先。自己主張も欲求もない。そんな人間が「自分の人生っていいな!」なんて思える筈はない。

自分の最大の関心事は、「僕・私は存在していていいのでしょうか…?」…この声が、虐待と言わずして何と呼ぶのだろう。

傷ついている心の再生を自力で行うのには限界があります。傷ついていることも解らず、尊厳も知らずに生きてきた人に尊厳を取り戻すって言ったって、尊厳が何か、何をどう頑張ったらいいのか解らないし、またひとりでやっていくくらいなら死んだほうがマシ…スネとふてくされの達人と化しても、誰もその人を責められはしないでしょう。

尊厳を手に入れるためには、尊厳を知る人間から教わるのが一番です。自尊心を持つものこそ他尊心が解るからです。尊厳を知らぬ者と一緒に居ても、そこからは何も生まれません。

自尊心とは自己愛

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「自分を愛す」という感覚を味わったことがありますか?

自分の尊厳を守るということ、つまり自尊心というものは、相手を敬うのと同等に自分を大事にするということです。例えば、極限下の二人がいて自分だけがチョコレートを持っていたら、相手に全部をあげるのではなくて、半分ずつにできること。自分が一人でも、食べずに名誉の死を遂げるのではなく、食べて生き延びること。やせ我慢でないこと、自分の欲求や欲望を尊重してやれることです。

自分の尊厳の回復を図るためにに何をすべきか。先ずは「苦しい」…その気持ちに従ってください。その苦しさをだた「何とかしたい」と求めてください。唯一頑張れと言いたい部分があるとすれば、先ずは自分を救ってくれる人を探す努力をすることです。自分の人生を生きるため、それを教えてくれる、支えてくれる人を探し始めてください。

援助者かパートナーか…理解してくれる人は必ずいます…。